ごきげんよう、ゆえのです。
先日、最果タヒさんのこんなツイートを見つけて思わず色々考えてしまいました。
その気持ち悪いものをいかに相手にそのまま差し出さずにいられるか、愛があるからこその優しくありたい、ささやかにでも照らす光でありたいと思う、その感情だけをいかに差し出すか、相手に愛の全てを受け入れてほしいと願ってしまうことなくいられるか。みたいなことかな〜というメモをしに来たんだよ
— 最果タヒ(Tahi Saihate) (@tt_ss) December 16, 2021
「愛は気持ち悪い」という認識を持っていいんだ…ということに対して衝撃を受けたのかもしれないです。
そういえば「蠍座」の勉強をしていて、前回までの記事に載せた「蠍座」の記事を読んでいて、蠍座が愛を100%表現してくれることに対して、どうしてこんなに怖いとか恐ろしく感じてしまうのかということについて、無意識にその答えを求めていて上記のツイートにたどり着いたような気もしています。
上記を受けて自分でもツイートしたりしたんですけど、結局のところ「愛」の根底にあるのは「欲望」だからではないのかなという結論に私は至りました。
「恋」とどう違うのか?という疑問も出てくるけど。
— ゆえの_yuki637 (@yuki6375) December 17, 2021
あと、
>ファンとしての愛とか、片想いもだけど、一方通行的に愛情を寄せる人は気持ち悪いんじゃないかという話
の部分でも、私は米津玄師さんのファンなんですけど、色んなSNSで他のファンの方たちの様々な「愛」が剥き出しになっている様を見てきて、なんていうのか「愛」が綺麗で美しいものだってことがどんどん信じられなくなっていってた、というのか…。
決してファンの気持ちを貶めてるとかそういう意図はないんですけど、自分を振り返ってみてもそういう欲望が全くないわけではないので、ファンだけどファンだけど…なるべく常時ファンでいないようにしよう、と思いました。
愛は気持ち悪いから、やっぱ不安だし、相手がまるごと受け止めてくれたらそりゃ安心なんだけれど、そりゃ安心なんだけれど……。愛すれば愛するほど愛した相手には、自分の愛から自由であってほしいと私は思います。
— 最果タヒ(Tahi Saihate) (@tt_ss) December 16, 2021
最後の文章は無意識に感じていたことを的確に表現してくれていて、何度も何度も読み返してしまいました。
私がこういう風に思うのは、天王星が1ハウスにあるからっていうのか大きいのかもしれないですけども。
「蠍座」にあるけど、天王星が水瓶座の支配星なので相反する要素を同時に持っているような気がしました。
あと、「愛」を綺麗で美しいものだと思うためには、相手が亡くなったとか「欲望」を向ける対象になる心や体がない状態になるのが必要なのかな、とふと思いました。
おわり。