私のホロスコープの火星/土星のミッドポイントにDCと金星が絡んでくるのはどう解釈したらいいのかの話

ごきげんよう、ゆえのゆきです。

読んで頂いてありがとうございます。

 

タイトル長いなと思いつつ、前の記事の最後に

>もう少し検証していってみようと思いました。(吉田松陰ホロスコープを)

というようなことを書いたんですけど、ホントに書きたいことは違うんだよ!と書いた後に思いました。

仮説でしか過ぎないんだけど、吉田松陰ホロスコープが自分と同じような火星/土星のミッドポイント「死の軸」がDC(ディセンダント)が乗ってきて、尚且つ自分のホロスコープの場合はそれに金星もタイトなオーブで絡んでくるから、それをどう解釈したらいいのか?ってことを探したいと思って書いたんだよ!と。

 

火星/土星の「死の軸」の意味は、

>実際に「死」を表すというわけではなく“物事の終了や休止”を表すのだそうです。

と書いたけど、それがDC(ディセンダント)に乗るとどうなるか?ということを考えると、

DC(ディセンダント)の象意は、真由子さんの講座からの抜き書きだけど、

抜き書きーーーーーー

生まれてから死ぬまで人は社会の中で多くの人と関わることになりますが、対外的に自分がどのような顔を見せていくのかということを明確に決定づけるために、まず初めに関わる環境を示しています。これが高じて、手助けしてくれる人、人生に影響を与えてくれる人、親密な関係になる人を表すことになります。

ーーーーーーここまで

ということになって、「死の軸」の“物事の終了や休止”がそれに乗ってくるのだとしたら、“物事”っていうのはASC(アセンダント)から培って?きた自分を指すのではないかと思ったし、それの終了や休止とはどういうことかと言うと、自分への否定?に受け取れるんだよね。

吉田松陰の場合は、DCのサインが双子座♊️であることもあってか、死の軸による自分への否定をうまい具合に活発な議論へと昇華させていたのではないかという印象がある。色々記録を読んでみると。

 

そして私の場合は牡羊座♈️なので、人からの自分への否定が人との接点の“最初”になる、ということなのかな?と考えたりした。ASCに天王星が合になっているもんで(って言い方もアレだけど)人から注意を受けたりした時って大抵自分のやり方がおかしい場合が多くて…萎縮しやすかったというのはある。

 

2021/09月にこんな記事を書いていて、

金星と5度前ルールの話 - ゆえの的占星術の見方日記

>私の金星のサビアンシンボルは、

>牡羊座 28度
>予想が裏切られて演奏に失望する観衆、または 演奏に落胆させられた大聴衆

ということで、最初に“失敗”がきている度数でどう挽回していくかに焦点が当たっているように解釈したんですけど、それと上記のことをどう繋いでいけばいいのかが分からなくて、ちょうど冬至で陰が1番強まる日でもあったのもあって、“人からの自分への否定”の方にばかり焦点がいってしまって、自分には味方なんていないみたいな超ネガティヴな方に偏ってしまってました。

 

そして、それに耐えられなくなってきて嘘でもいいから「自分には味方がたくさんいる!」と思い込もうとして、アファメーションばりに唱え始めました。そしたらゲシュタルト崩壊を起こし始めて、「じぶんにはみかたがたくさんいる」が「自分には見方がたくさん要る」になってきてて、味方が見方になって自分からは見えない視点(見方)がたくさん必要なのでは?というふうに考えが変わってきました。

 

そして仕事から帰ってからなんとなくAmazonで本を見ていて、この本を見つけて買って読んでみました。

この方の名前は知っていたけど本を買ったのは初めてだったんですけど、途中で吉田松陰の話も出てきて、色々と悶々していたけどここに繋がるためのものだったんだなと思いました。冬至からの切り替え及び宇宙から自分への?クリスマスプレゼントだということで、この本を読み込んでみこうと思います。

おわり。