ごきげんよう、ゆえのです。
最近「蠍座」のことを知ろうと思って勉強というか検索して色々な人の「蠍座」について書かれているブログ記事などを読み漁っています。
私のホロスコープで言うと、この「蠍座」は1ハウスにあって天王星が「蠍座」です。
1ハウスが示すものは、どのように他人があなたを見るか、個性、持って生まれた資質、癖、仮面、イメージなどを表していて、でも今まで惑星の方にばかり気を取られていてあまり真剣に考えたことがありませんでした。
ホロスコープの講座を受講していた時も、私の場合は、ASC(アセンダント)はその前の天秤座なんですけど、すぐに蠍座に入る形になっていて、なぜそういう風になっているのかを知ることも大事だと先生に言われていました。
なので「蠍座」のことを勉強するのは自分にとっても良いことなんですけど、上記で書いたように「蠍座」について書かれたブログ記事を読んでいてもなんかどこか他人事みたいに感じられて、そして「蠍座」のことを知れば知るほどその強烈な所にばかり目がいってしまったりしていて、自分ごととして落とし込む所まで行っていませんでした。
こーゆーのとか…。
それが変わったのはこちらの記事を読んでからでした。
私は、米津玄師さんの楽曲が好きで自分の他のブログでもその楽曲の解釈と考察などを色々書いている関係でこの方の記事もよく読ませて頂いてました。
この中での愛の質問、
>愛にとって、過去とはなんだろうか?
>一体、愛に過去は必要なのだろうか?
>(「ある男」より)
の答えを私なりに出してみました。
私の答えは、私が今捧げている愛にとって過去は必要である、です。
関係性の状態にもよると思いますが、今の自分には愛に過去は必要であると考えています。
私が今捧げている愛というのはツインレイの相手に捧げているものなんですけど、それはツインレイだからということではなくて、相手が過去から今に積み上げてきたものがあるからそれに対して愛を捧げている、返しているという形になっているので、それが無くなったらとか考えると、当然私の捧げている愛もなくなるよなと思いました。
言葉はかなり悪いと思うんですけど、一種「契約」のように考えているところがあります。
そしてそれが「蠍座」の感覚であるというような記事を読みまして…出典はこちらのブログの記事なんですけども。
https://ameblo.jp/jewelsinthedark/entry-12660208056.html?frm=theme
自分にも「蠍座」のエネルギーは息づいているんだなと思った瞬間でした。誰でもホロスコープがあって12星座のエネルギーはあるんだから当たり前といえば当たり前なんですけども。
あと、仕事などで今までほとんど職場の掛け持ちとかしたことがないんですけど、それも蠍座のエネルギーから来ているものなのかもしれないなとも思いました。
引き続き「蠍座」を見ていきたいと思います。
続く。