もう…全部星のせいにしちゃっていいかなぁ2、天王星と海王星の話

ごきげんよう、ゆえのです。

 

天王星海王星について面白い記事を見つけたので、リンクを貼っておきます。

leoquore.com

 

結論から先に言うと、ここの抜き書きが1番納得がいったんですけども。

抜き書きーーーーーー

天王星海王星は「補完」すると最強になるー


ここまで読んでくださった方はもうお分かりでしょう。
天王星海王星とは偏ると恐ろしい弊害が出てしまうのです。
しかしそれぞれを補完すると、偏った考えによる苦悩が取れてしまうのです。


ですから日本では海王星が支配する領域(芸能・スピやカルト・アニメ・薬物やお酒・群れること・客観性のなさ・依存心・SNS・空想や妄想etc…)には気をつける必要があるのです(※やるなという事ではなく、気をつけるという事です)

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東洋人(海王星)はこのように、空想と現実が混濁しやすい面があり、失敗しない様に「愛とは自己愛ですよ」と仏教はドライに説いているのです。
ブッダ」とは元々は「目覚める」を意味するブドゥ(budh)に由来しています。要するに海王星的な夢から「目覚めた人」という意味です。


そう、占星術がお好きな方ならわかりますよね。
天王星は目覚めを支配しています。東洋人に足りないのは天王星マインドなのです。
そもそも愛というのは西洋人が生み出した概念で、個人主義じゃないと成立しません。
海王星は集団(会社や村)が大事なので、個人の愛を貫くことは不可能で、失望とセットです(特に女性側が)

ーーーーーーここまで

 

天王星を鍛えていくことが大事なんだということがよく分かりました。天王星を鍛えるのには、論理的に考えるとか論理思考力を高めていくのがいいのではないかと個人的には思っています。

あとこちらの記事を読んで、推し活をしていたんですけど時折見られるちょっと気持ち悪く感じる推し活をしている人がいらして、それは何でそうなるんだろうな?と疑問に思っていたんですけど、それも「海王星」の作用から来ているんだなということがよく分かりました。

 

そこの部分の抜き書きーーーーーー

★仏教は「幼稚性と妄想を徹底的に戒めている」★
そもそも仏教では「愛とは自己愛」とバッサリ本質をついています。
そう、海王星の国(日本)は自分と他人を同一視するので、愛とは自己愛。最終的に少しのズレも許せないセコい人間になっていきます(※ラブファントム)


子供は自分の所有物で、自分が好きなものは子供も好きだと主張します。
「私が好きな芸能人を子供も好きっていうんですよ〜」
これ、SNSでは非常に散見される光景ですが、どちらが子供かわからず気を遣っている子供が可哀想ですよね…(普通は子供側がママが僕の好きなアンパンマンを好きっていうんだよ〜じゃないですかね)
西洋人の「愛」という概念と日本人の「愛」は別物です。

愛とは一人で生きれる個人主義者が、2人で生きようと努力するから生まれる概念です。
自分と相手を分離できない人間の、自己中心的な執着は自己愛なのです。
日本人の愛は相手を操り人形にしたいだけ。大事なのは自分です。
カルト宗教にハマった母親もそうだし、告白してくる男性もそう「結局は自分が好きなだけ(投影)なんだな…」これの繰り返しの末に「自分は愛されていない」という傷を深めてしまいました。
ただ占星術を学び、これは日本人の本質的な問題だと気がつきました(相手だけではなく、自分の問題もここです)

日本人との恋愛は全てが束縛(自分と相手を同一視=海王星)なのです。
これが叶わないと逆恨みやヒステリーが起きます。
誰かを愛しているようで、誰も愛さない。
本質的には自分を愛しており、対象に異常な執着を持ちます。


仏教ではこの病的な愛を、「渇愛(かつあい)」と呼んでいます。
仏教の否定する「愛」は、個人主義の西洋人の考える「愛」とは別物です。
東洋人が誰かを愛すると必ず同一視による「嫉妬・恨み・怒り」という感情が出て、束縛や感情のトラブルが生まれます。

これを仏陀は「鬼を呼び起こす感情」と否定しているのです。
ただ別に仏教が愛情を否定した教義というわけではありません。
仏教では愛を「慈悲(情け深い事)」と呼んでいます。
個人主義者ではない東洋人には)周りの全ての人々に対して授ける思いやりや優しさという、慈悲の心が愛であると説かれています(だから肉食を禁じています)
仏教とは非常に大人っぽい、知的で深い世界観なのです。

ーーーーーーここまで

私の場合は、海王星も強い方だし、2ハウスに入っているので自分の価値があいまいにしていってしまうような所があるので、天王星を使って論理的に自分のことを捉えつつ、自分がより良い方向に行けるような海王星の使い方をしていきたいと思いました。

おわり。